篠沢秀夫の死因・病名は?クイズダービーの人気教授だった!
「クイズダービー」で人気だった篠沢秀夫教授が2017年10月26日未明に84歳で他界されました。
難病と闘っているということは知っていたのですが、篠沢秀夫教授の死因と病名についてお届けします。
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篠沢秀夫の死因・病名は?
2017年10月26日未明に84歳で他界された篠沢秀夫教授。
2009年2月、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、4月に気管を切開し人工呼吸器を装着。
夜は2.3時間おきにたんを吸引するなどの介護が必要となっていたそうです。
ALSは進行性の病気で、現時点で有効な治療法のない病気です。
進行を止めることもできない病気で、いったん罹患すると意識や五感は正常なまま、全身の筋肉が衰えていき、最後には呼吸筋がまひして、死に至る病気です。
年間に10万人に1人の確率で発症するといわれていて、原因もわかっていないそうです。
篠沢秀夫教授は2008年頃からろれつが回らず、話し方が少し変だったそうですが、入れ歯が合わないと思い治療。
人間ドックにも行き、大学病院の神経内科を紹介され、2009年1月に検査入院。
まさか、難病のALSだとは予想もしなかったそうです。
ショックでうつ状態になってしまった妻の礼子さん。
病魔によって篠沢秀夫教授の出来ないことが1つずつ増えていき、礼子さんはそのたびに落ち込んだそうです。
そんな礼子さんを立ち直らせたのは娘さんの言葉。
「ママにしっかりしてもらわなきゃ困る」
そして、篠沢秀夫教授にも「おじいちゃまの記憶が残るまで生きていてほしい」と。
礼子さんは娘さんの言葉でめそめそしていちゃだめ、と覚悟を決めたそうです。
以前、闘病中の篠沢秀夫教授をテレビで観たことがあります。
ベッドに横たわり人工呼吸器が付けられ、あの元気でにこやかな篠沢秀夫教授の姿はそこにはなく、ショックだったのを覚えています。
篠沢秀夫教授は、闘病生活を送りながらも、精力的に執筆、講演活動を続けていたそうです。
2012年、京都大学教授・山中伸弥さんがiPS細胞の作製に成功し、ノーベル医学生理学賞を受賞。
iPS細胞によって、ALSの治療法が開発される可能性が出てきたことで篠沢秀夫教授の闘病生活の支えとなり、希望の光が見えたニュースでしたが残念です。
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篠沢秀夫教授 プロフィール
名前:篠沢 秀夫(しのざわ ひでお)
出身地:東京都大田区
生年月日:1933年6月6日
フランス文学者、学習院大学名誉教授
1953年3月 東京都立日比谷高等学校卒業
1957年3月 学習院大学文学部フランス文学科卒業
1959年3月 東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程修士課程修了
フランス政府給費留学生試験に合格しフランス・パリ大学へ留学(1959年~1961年)
1965年 礼子さんと結婚
クイズダービーの人気教授だった!
「クイズダービー」というクイズ番組をご存知ですか?
大橋巨泉さんの司会で、1976年 ~ 1992年に放送されていた番組です。
最高視聴率は、40.8%という歴史に残るこの番組に、篠沢秀夫教授は解答者としてレギュラー出演されていました。
毎週篠沢秀夫教授の珍回答には爆笑させられました。
大学教授だというのに、突拍子もない解答を出し、大橋巨泉さんに小馬鹿にされながらも笑い飛ばしている篠沢秀夫教授は、お茶の間の人気者でした。