アイガー北壁悲劇と日本人登頂者は?イッテQイモトアヤコは大丈夫か!?
7月24日(日)放送の「世界の果てまでイッテQ」でイモトアヤコさん率いるイッテQ登山部が、次回挑む第7の山は「アイガー」という山のようです。
「アイガー」という山は一体どんな山なのでしょうか?
ちょっと調べてみました。
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アイガーってどんな山?
世界の果てまでイッテQの登山部が次に挑む山は「アイガー」という山のようです。
「アイガー」と聞いた時のイモトアヤコさんは「ヤベェ~山って聞いたことがある」と言っていました。
標高3970mのアイガーはスイスを代表する山です。
高さ1800mの北壁は、グランドジョラスの北壁、マッターホルン北壁と並び困難な三大ルートの一つとして知られ、アルプスの三大北壁「死の崖」とも呼ばれています。
「アイガー」という名前の由来は「オーガ(人食い鬼)」との説もあるそうです。
イモトアヤコさんが言うように「ヤベェ~山」のような気がします。
アイガーの悲劇とは?
3人のアルピニストが命を失った悲劇の事故。生還者は1人。
北壁で初めて行われた救助活動には、スイス内外の登山家50人もの登山家が救助に関わりました。
アイガーの悲劇とは一体どんなものだったのでしょうか?
1957年夏、イタリア人の登山隊がアイガーの北壁を登り始めた2日後、ドイツの登山隊も同じルートを登り始めました。
しかし途中なかなか前進できない2隊。
1日後、6ヶ国の救助隊が救助に向い、イタリアのコルティ隊員を山頂から320mのザイルを垂らして救助に成功。
しかしロンギ隊員は、寒さと空腹のため死亡。
ロンギ隊員の遺体が回収されたのは2年後。
しかもザイルに釣り下がったままという状態でした。
ロンギ隊員の遺体を一目見ようと2年もの間、野次馬が集まったのだそうです。
一方、ドイツの登山隊、ギュンター・ノートドゥルフトとフランツ・マイヤーの両隊員の行方はわからないまま。
コルティ隊員が自分が助かりたいがためにドイツ人登山隊の2人を墜落させたのではないか という憶測も飛び交ったそうです。
4年後、行方不明だった2人のドイツの登山隊は遺体で発見。
2人は頂上に到着し、下山中に疲労のため死亡したということが分かり、コルティの「無実」が認められたのでした。
ヘリコプターがある時代ではありません。
人力での救助のみです。
たくさんの悲劇が生まれたのでしょうね…。
さらに、1936年実際にあった「トニ・クルツの悲劇」を元にした2008年のドイツ映画「アイガー北壁」の予告編を紹介します。
シネマトゥディ公式
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アイガーの日本人登頂者は誰?
命がけの登頂でもあるアイガーの登頂ですが日本人で成功した人はいるのでしょうか?
1921年9月10日
北東山稜(ミッテルレギ稜)から日本の槇有恒の隊が初登頂しています。
そして「死の壁」と言われるアイガー北壁を登頂したのは、
1965年8月16日
高田光政さん 日本人初登頂
1969年7月
辰野勇さん 二人目となる北壁登頂に成功
1969年8月15日
加藤滝男さん、今井通子さん、加藤保男さん、根岸知さん、天野博文さん、久保進さんの6人が、夏期世界初直登頂
1970年1月27日 森田勝さん、岡部勝さん、羽鳥祐治さん、小宮山哲夫さんの4人が、冬季日本人初登頂
1970年3月21日 遠藤二郎さん、星野隆男さん、小川信之さん、三羽勝さん、嶋村幸男さん、高久幸雄さん、深田良一さんの7人が、冬季直登日本人初登頂
1978年3月9日
長谷川恒男さんが冬季単独初登頂
まとめ
イモトアヤコさん率いる世界の果てまでイッテQ登山部が次に挑戦する山は「アイガー」
アイガーの北壁は「死の壁」と言われ、たくさんの悲劇が繰り返されています。
イモトアヤコさんがどのルートで挑戦するのかは定かではありませんが、無理をしないように挑んでもらいたいものです。
「イッテQ」ではイモトアヤコさんの妹分という新人芸人を発掘したようです。
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